僕は「生きづらさ」を感じていた時期があった。
「なんでこんなにイライラするんだろう」
「なんで毎回、入った職場に嫌気が刺すんだろう」
「ムカつく。楽しくない。」
そんな毎日に嫌気が刺した。
そんな毎日を変えたくて、「それっぽい」本を読んでみる。
「アダルトチルドレン」「愛着障害」「アンガーマネジメント」
なんのこっちゃw
見慣れない単語。
意味もわからない。
更には「自分の抱えている問題を解消していきましょう。」だってさ。
問題ってなんだよwコッチはそれがわかんねーから困ってんだよ!!
ってな感じで、何から手を付ければいいのか。
何をすればいいのかも分からなかった。
自分なりに「アレやコレや」と試行錯誤の末、僕なりの「型」が出来上がった。
今回は僕なりの「心の整理」のお話。
目次
毛玉理論
僕が勝手に「毛玉理論」と呼んでるモノがある。
イヤホンのコード(紐)が絡まって、「ムキーーー!!」ってなる事ないかな?
イヤホンを雑にカバンやポケットに突っ込んでおくと、高確率で「コード(紐)」が絡まっている謎システム。
なんかもう、見るのも嫌だし、ちゃんとホドクのもメンドくさい。
「ワチャワチャー」って雑に引っ張ってみたら、余計に絡まって、こんがらがっちゃう。
この状態、「心の問題」と凄く似てると思うの。
僕には心に重くのしかかる問題がある。
色んな「コード(問題)」が複雑に絡み合って「大きく重い塊り」の様なモノになった。
「それ」が心にのしかかり、苦しくて「生きづらさ」を感じる。
心を軽くしたいから、「コード(問題)」のドレか1本を引っ張ってみる。
複雑に絡み合った「コード(問題)」がキツく締まって、余計に苦しくなる。
闇雲に引っ張ってみても、「コード(問題)の絡み合った塊り」は余計に硬く絞まる。
そんな風に「メチャクチャに絡まって、絡まりが大きく膨れ上がった状態」を「毛玉」と称してる。
この「毛玉」こそが自分の抱えている「問題の集合体」なんだと僕は考えている。
「ひとつの問題だけ」で苦しんでいるんじゃなくって、「たくさんの問題」が絡み合い、大きく重くのしかかってるから苦しいんだと考えている。
「心に重くのしかかる毛玉」なんてモンは、抱え込みたくない。手放したい。
だけど、「捨てる」「投げ出す」事は出来ないモノだと僕は考える。
1本1本、丁寧にホドいていって、「毛玉」を「小さく」「軽く」していくしかないんだと思う。
しかし、この「毛玉」。
ホドこうと思っても、ドコから手を付けたモノか…。
「毛玉」をホドクには、
- 見えやすい(わかりやすい)「毛先」を見つける。
- 「毛先」がどの「糸」に繋がっているのかを知る。
- 「糸」と「糸」が、どう絡んでいるのかを観察する。
- 「毛玉」になった「糸」を、1本1本ホドいていく。
この作業を「自分の心」に当てはめて、問題を解消していこうって話。
僕の言う「毛玉理論」は、つまりは「心の整理」だ。
紐解いていくには「1本1本の紐」を探し、「絡んだ部分」を観察し、少しずつ紐解いていく必要がある。
すると、その先には、「もっと細い糸」が「もっと細かく」複雑に絡み合っている。
「どんどん細く」「どんどん細かく」少しずつ紐解く、恐ろしく地道な作業。
この「毛玉理論」はマトリョーシカみたいなモンだと思う。
「毛先」を探ろう
ここで言う「毛先」ってのは、「事実」の事。
「何をされたのか」「何が起きたのか」「何をしたのか」
その辺を「正確」に思い返す。
大切なのは、「感情」だったり「事情」を足さない事。
「感情」や「事情」は、後で思い返す。
まずは、「起こった事だけ」をありのままに思い返す。
僕の場合は、ノートに書き殴ったり、スマホのメモに書き起こす。
「書き起こす」というのは、客観視しながら整理出来るため、とても効率が良くなる。
「イラついた」事。「ムカついた」事。
なんだって良い。
僕の場合の「生きづらさ」を紐解いていくと、そこには「僕の家族との問題」にブチ当る。
「僕の家族との問題」を例に挙げて話していこうと思う。
僕の母の「お金の催促」を思い返してみよう。
- 母からお金の催促が来た。
僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。僕がお金出さなければ、カーさんは苦しむ。僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!
僕が「家族からの被害」を思い返すと、こんな感じで感情が爆発して、余計なことまで湧いて出てしまう。
まさに「毛玉」が膨れ上がり、何から手を付ければいいのかわからない状態だ。
言い換えるなら、「散らかりに散らかった汚部屋」ってところかな?
だけど、ここは冷静になろう。
「毛先」を探っている今、必要なのは「1 母からお金の催促が来た。」のみ。
「事実」以外はここでは邪魔だ。
まずは、他を消して「事実」だけに集中しよう。
「あぁ、カーさんからお金の催促来てたなぁ。」
と、浮かび上がった「事実」を認識する。
そこに「事実」に対する「僕の感情」を付け足す。
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
「3 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。」も、感情に近いけど、これは「事情」の色合いが濃い。
もっとシンプルな感情の「怒り」「悲しみ」っていう感情。
気持ちを掘り下げて、掘り下げて、自分が感じた「最もシンプルな感情」を掘り起こす。
「カーさんからお金の催促が来てたなぁ。」
「怒りと悲しみがあったなぁ。」
こうやって、まずは自分が受けてツラかった事や、被害なんかを出来るだけ「単純化」する作業をする。
「毛先」を探るってのは、自分を苦しめている「原因」「原点」を、「シンプル」に「見えやすく」する作業。
「毛先を探る作業」を始めた頃は、日常生活での「イラついた事」「ムカついた事」の「毛先」を探っていた。
「自分はこの時、こう感じたんだ。」と、自分が「漠然と感じたモノ」が少しずつ「形」になっていくのを感じた。
この「漠然と感じたモノ」が「自分の抱えている問題」を見つける為の「手がかり」になった。
「毛先」から繋がっている「糸」を知る
「母からのお金の催促」で、僕は「怒り」と「悲しみ」を感じていたのがわかった。
ここでは、「なぜ、その感情を感じたのか」を知る。
つまり、「起こった事」「感じた気持ち」という「事実」から、なぜ「そう感じたのか?」という僕の「事情」を知るんだ。
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
- 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
僕がお金出さなければ、カーさんは苦しむ。
僕が怒りを感じたのは「3 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。」という思い(事情)があったから。
「怒り」を感じた原因はわかりやすい。
じゃあ「悲しみ」はどこで感じたんだろう?
以前は「4 僕がお金を出さなければ、カーさんは苦しむ。」のせいなのかと考えた。
しかし、「コレ」は本質ではないと今は思う。
この「4」は「母の事情」の意味合いが強いからだ。
「悲しみ」を感じたのは、「他人の事情」ではなく、もっと「自分の事情」から湧いた感情ではないか?
そう思い、深く思い出し、考えまくる。
その結果、見えてきたモノがあった。
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
- 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
- 母に「雑に扱われて」悲しい。
僕がお金出さなければ、カーさんは苦しむ。
「僕だって、アルバイトで、ひとり暮らしで、生活が苦しいんだ!」
「自分で使う為じゃないのに、正社員になって収入増やせって言うのか!?」
という「怒り」。
そして、「4 母に雑に扱われて悲しい」という、「僕の本質」での「悲しみ」が見えてきた。
「こんなに頑張ってるのに、カーさんにお金を出してるのに、また催促か。」
「カーさんにとって、僕はATMなのか?こんなに頑張ってるのに、こんな雑な扱いをされるのか?」
こんな思い(事情)が隠れていた事に気付いた。
「母の事情」を考えていては気付けない「思い(事情)」だった。
他にも、怒りという「毛先」に繋がる「糸」を見てみると、「僕はお金を出したくない」のがよくわかる。
「嫌々お金を母に出している」の先の「なのに〇〇してくれない」「だけど〇〇だ」といった、僕の「欲求」が満たされないが為の「怒り」だということも見えてきた。
「毛先」に繋がる「糸」を知るという事は、自分を苦しめている「原因」や「原点」が、「自分をなぜ(どう)苦しめているのか」を「深く知る」作業。
「原因」や「原点」だけを見ているだけでは見えなかったモノも、「自分をなぜ(どう)苦しめているのか」と「繋げる事」で見えてきたモノがあった。
大きく膨れ上がった「毛玉」の状態では、「この思い」が「どこに」「どれに」繋がっているのかが把握しにくい。
「毛玉」という全体像ではなく、「糸」という細部を見る事で知る事が出来た。
この「原因や原点」と繋がった「自分を苦しめているモノ」こそが「自分の抱えている問題」なんだと思う。
「糸」と「糸」がどう絡んでいるのかを観察する
ここでは、「以前、働いていた職場」を例に挙げましょう。
僕はその職場で、常にイラついていた。
- 「アイツら」は、仕事中に寝ていたり、おしゃべりばかりして、ロクに作業をしていない。
- 報告している生産数も「嘘の報告」で、ノルマをクリアした様に見せている。
- 「上司」は、「その事」に気付いてるんだか、気付いていないんだか。
- 「上司」は「アイツら」を咎めようとしない。
- 真面目にノルマをこなしてる「僕」と「アイツら」は同じ扱いだ。
こんな事を感じていた。
この事に対して、「怒り」や「悲しみ」を感じていた。
しかも、僕は「この事」に対して「ただ」怒りや悲しみを感じていたのではない。
「物凄く強い」怒りや悲しみを感じていたんだ。
なぜ、こんなにも強く「怒り」や「悲しみ」を感じるのだろうか?
- 「アイツら」はロクに作業をせず、不正な報告をしていただけ。
- 「上司」は、「アイツら」を咎めようとしないだけ。
たったこれだけの事。
彼(女)らは僕に対して、直接的な危害は何も加えてないんだ。
それなのに、なぜだ?
ナニカガオカシイ…。
モチロン、僕の「事情」なんかを考慮すれば、「怒り」や「悲しみ」を感じる要因にはなる。
「ひとつ」だけ「怒りや悲しみ」を感じればいいのに、「10個」も「20個」も「怒りや悲しみ」を感じていたんだ。
答えをいうと、僕の中の「アイツらと上司」という問題と、「父や兄と母」という問題が絡み合ってしまっていたからなんだ。
- 作業もしないで不正を働く「アイツら」
- やりたい放題した上に恩恵を得ている「父や兄」
という「アイツら」と「父や兄」の混合。
- 咎めようとしない「上司」
- 咎めようとしない「母」
という「上司」と「母」の混合
僕が「今、抱えている問題」と「昔、抱えていた問題」が、複雑に絡み合い、混乱していたから、余計に苦しんでいたんだ。
「糸」と「糸」がどう絡んでいるのかを観察する。というのは、「問題」と「問題」の絡み合いが、「より複雑に自分を苦しめていないか?」と観察する作業。
僕の中の「アイツらと上司」という問題。
僕の中の「父や兄と母」という問題。
この「ふたつ」は似ているけど、「別の問題」なんだ。
絡み合って、混合してしまったから、余計に苦しんでいた。
混合した問題というのは、「足し算」ではなく「かけ算」で苦しむモノだと感じる。
「ひとつの問題」に対して、2倍も3倍も「悪い感情」を抱える必要は無いんだ。
「アイツらと上司」という問題に対して、「ひとつ」だけ「怒りや悲しみ」を感じればいい。
こうやって、「問題」と「問題」の絡み合いを観察すると、「どれだけ余計に感情を感じたか」「ひとつの問題を、どれだけ複雑にしていたか」がわかってきた。
「毛玉」になった「糸」を、1本1本ホドいていく
ここまででやってきた作業をまとめてみよう。
- 「自分を苦しめて」いる「毛先」を見つける事が出来た。
- 「なぜ苦しんでるか」という「毛先」に繋がる「糸」を知った。
- 「この糸」と「この糸」が「複雑に絡んでいる」から「余計に苦しんでいる」と観察出来た。
これを、もう一度「母からのお金の催促」に当てはめてみる。
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
- 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
- 母に「雑に扱われて」悲しい。
- 僕がお金を出さなければ、カーさんは苦しむ。
- 僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
このふたつは「毛先」だ。
僕が受けた「事実」と、僕が感じた「感情」。
- 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
- 母に「雑に扱われて」悲しい。
このふたつは「毛先に繋がる糸」だ。
感じた「感情」の先の、なぜ「そう感じたか」という「事情」。
- 僕がお金を出さなければ、カーさんは苦しむ。
- 僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!
このふたつの「糸」と「糸」が絡まるから「毛玉」になる。
「今抱えている問題」と「今とは無関係な問題」が絡み合って、「問題の混合」をして余計に自分を苦しめている。
この「問題の混合」を「切り離して」いく。
- 母からお金の催促が来た。
- お金を出さなければ、カーさんは苦しむ。
- 僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!
この3つは、同時に湧いて出た「問題」だけど、「それぞれ別の問題」なんだ。
「それぞれ別の問題」なのに、この3つを混合してしまうから、余計に苦しいんだ。
だから、切り離す。
「母からお金の催促が来た」という問題にだけ集中する。
- 母からお金の催促が来た。
この問題については、
- 「僕はお金を出したくない」から怒りを感じて。
- 頑張ってるのに「母からは雑な扱いをされている」から悲しさを感じた。
たったこれだけだ。
ここまでシンプルに「問題」が見えると、解決策も見えてくる。
お金を出さなきゃいい。
実にシンプルだ。
- 「お金を出したくない」と怒りを感じるなら、出さなきゃいい。
- 頑張って「お金を出して」も悲しさを感じるなら、出す理由無くね?
「お金を出さない」という一択しか無いレベルだ。
「毛玉」になった「糸」を、1本1本ホドいていく。というのは、「絡み合った問題」を、「ひとつの問題」と「ひとつの問題」に紐解く作業。
今抱えている「本質の問題」を見極め、雑音になる「別の問題」を排除し、「本質の問題」に向けて集中出来る様になる。
しかし、ここで「新たな問題」が出てくる。
- 母からお金の催促が来た。
- 「怒り」「悲しみ」
- 僕だって、自分が生活するだけで精一杯だ。
- 母に「雑に扱われて」悲しい。
僕がお金を出さなければ、カーさんは苦しむ。僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!- お金を出さないという選択。
- 「お金を出さない」と決めたけど、その事でカーさんに嫌われるのが怖い。
マトリョーシカ
僕は「お金を出さない」という選択をした。
すると、「新たな問題」が出てきた。
「母からのお金の催促」という問題に対しては、「お金を出さない」という選択で解消した。
しかし今度は、お金を出さない事で「カーさんに嫌われるかもしれない。」という問題が出てきた。
ナンテコッタ…。
だけど「これ」は、そういうモンなんだ。
しょうがない事なんだ。
僕の言う「毛玉」ってのは、「マトリョーシカ」みたいなモンなんだ。
「母からのお金の催促」なんて「問題」は、「毛玉」や「マトリョーシカ」の「上っ面」「表面」「氷山の一角」に過ぎないんだ。
「毛玉の中心部」である、「僕の根本にある問題」にたどり着くまで、「細かな問題」は腐るホド出てくるんだ。
なら、どうすればいいだろう。
「新たに出てきた問題」を紐解いていくしかない。
- 「カーさんに嫌われるかも。」という問題。
- 「毛先」を探る。
- 「毛先」に繋がる「糸」を知る。
- 「糸」と「糸」が、どう絡んでいるのかを観察する。
- 「毛玉」になった「糸」を、1本1本ホドいていく。
これを繰り返していくしかない。
しかも、「カーさんに嫌われるかも。」という問題を紐解いていけば、「また新たな問題」に出くわすだろう。
「新たな問題」に出くわしたら、また「毛先」を探る作業だ。
「お金を出さなければ、カーさんは苦しむ。」
「僕もカーさんも苦しむのはアイツら(父や兄)のせいだ!!」
「このふたつ」だって紐解いていかなければ、「毛玉」は「小さく」「軽く」はならない。
「このふたつ」だって紐解いていけば、「新たな問題」に出くわすだろう。
「毛玉理論」「心の整理」は、本当に途方も無く、地道で過酷な作業だと思う。
だけど、この「心の整理」を続けていって、「僕の毛玉」は確実に「小さく」「軽く」なっていった。
「それ」とは別の、「良い成果」を感じる様になった。
「今より」大きく重くならなくなった「毛玉」
僕は「毛玉理論」による「心の整理」を、試行錯誤しながら10年は続けている。
まだまだ「問題」は山積みだし、「この問題は整理出来た!!」と思ったら、「また新たな問題にブチ当たる」なんて事の繰り返し。
だけど、確実に「毛玉」が「小さく」「軽く」なっている実感がある。
そして、「それ」とは別に「良い成果」も感じている。
例えば、「怒られる」事が減った。
これは、「僕がヤラかさなくなった。」わけじゃない。
実際僕は、よくヤラかす。
職場でも「チッタ君、さっきメッチャ怒られてたけど、大丈夫?」なんて言われる事もよくある。
「それ」に対する僕の反応は「こう」だ。
チッタ「え?怒られてませんけど…???」
こんな感じになった。
これはどういう事か?
- 「怒られた」のではなく、「指摘」と受け取る様になった。
- 感情のままにキレ散らかった相手を「受け流せる」様になった。
相手が「怒っているかどうか」はあまり重要じゃなくって、僕が「怒られたと感じたかどうか」が重要だよねって話。
つい先日も、「職場のロッカーキーを失くす(2敗目)」というヤラカシをして「怒られた」ばかりだ。
「2回だよ!?」「なんで対処しないの!?」
こんな事を言われた。
確かに、上司の「声」や「表情」には「怒気」がこもっていた。
だけど僕は、「これ」を「怒られた」のではなく「問題の指摘」と受け取った。
「同じ失敗をした事実」「対処しなかったから起きた失敗」
この「ふたつ」を、「これは良くないよね。」と指摘してもらったと受け取った。
-
- 同じ失敗をしてしまった。(毛先)
- 「2度目の失敗」「対処しなかった事」の指摘。(毛先に繋がる糸)
- 「3度目の失敗」が無い様に、何か対処しよう。(問題への対処)
上司の「怒り」。(別の糸の絡まり)これくらいで、そんなに怒るなよ。(糸の絡まりの紐解き)もう少し「言い方」があるじゃん。(糸の絡まりの紐解き)- (上司に対して)仕事を増やしてしまって、すみません。(新たな問題への対処)
こんな風に、「瞬時に物事を整理」して、「瞬時に本質の問題を見抜く」クセが付いた。
「僕がロッカーキーを失くしたから、上司に指摘された。」
「これ以上、同じ失敗をしない様に、今回はちゃんと対処しよう。」
こんな風に、問題を「シンプルに受け取り」、「余計な問題」を抱えこまなくなった。
上司の「怒り」は「上司の事情」だ。
「上司の言い方なんかに怒気がこもっているのは、上司の事情だから、そこは受け取らなくていいだろう。」
こんな風に、「相手の怒り(事情)」を「受け流す」様になった。
もし、「上司の怒り(事情)」まで受け取ってしまえば、
- これくらいで、そんなに怒るなよ。
- もう少し「言い方」があるじゃん。
といった「反抗心」が湧いて来てしまう。
「仕事を増やしてしまって、すみません。」という謝罪には「反抗心」なんて邪魔なだけだ。
「素直に謝罪出来なくなる」だけじゃなく、「上司を嫌いになる」キッカケにもなりかねない。
この「上司」は、割と嫌われている。(管理職なんてのは、そんなモンだと思うけどね。)
だけど僕は、割と好きな方だ。
確かに、「言い方」なんかは「アレ」なトコロがある人だ。
だけど、「上司の事情」を受け流して接してみると、マトモな事しか言わない人なんだよね。
「上司の事情」を受け流せているから、僕は上司の事を嫌いにならないでいれる。
「嫌いな上司が出来る」というのは、「毛玉が大きくなる」という事だと思う。
「この上司を嫌いにならない」というのは、「毛玉が大きくならない」という事だと思う。
つまり僕は、「毛玉理論」による「心の整理」を続けていき、「毛玉が小さく軽く」なった。
それと同時に、「毛玉が大きく重く」なりにくくなったんだ。
「毛玉理論」「心の整理」による「もうひとつの成果」とは、この事だ。
心の整理をしていって。
僕が「毛玉理論」という「心の整理」をするまでは、僕の心の中は散らかり放題だった。
よく観察もせずに「ゴミ山」を引っ張ろうモノなら、「ゴミ山」は崩れ、余計に部屋は散らかるだろう。
部屋の掃除だって、「大きいゴミは捨て」「必要な物は整理して」「細かいホコリを掃除」すれば、部屋は綺麗に片付く。
自分で掃除すれば、「整理のやり方も」身につくし、「散らかさない様にする術」も見につく。
「心の整理」だって、自分で整理していけば、「散らかさない様にする術」も見についていくんだと思う。
だけど、人によっては「そういう作業」が苦手な人もいるだろう。
そういう人は、誰かのチカラを借りればいい。
その相手が「カウンセラー」なのかはわからないけど。
僕だって、「自分ひとりのチカラ」でここまで出来る様になったわけじゃない。
「何かの手がかりになるのでは?」と、本を読みまくった。
僕と似た様な問題を抱える友人と「アレコレ」討論もした。
今の時代、YouTubeなんかで「これ、本当に無料で良いの?」って思うくらいに有力な動画も沢山ある。
何がキッカケになるかなんて、人それぞれだ。
手の届くトコロから始めれば良い。
僕はシンプルなモノが好きだ。
「シンプルな部屋」で過ごしたい。
「シンプルな心」で生活したい。
「シンプルで強いモノ」に憧れる。
心を整理してシンプルにしていれば、「問題」も見つけやすい。
心を整理してシンプルにしていけば、「散らかさない強さ」も身につくと思っている。
「心の整理」は、本当に途方も無い作業だと感じる。
僕も今のところ、終わりは見えていない。
「特効薬」や「近道」なんてモノは無いんだと思う。
だけど、作業を続ける事によって「得られたモノ」も感じている。
とある競馬騎手の有名なセリフに「遠回りこそが俺の最短の道だった。」というセリフがある。
僕はこのセリフが好きだ。
「距離としては遠回りだ。」
「だけど、遠回りして得たモノが無ければ、ゴールには辿り着けなかった。」
と、僕は解釈している。
だから、例え遠回りであっても、地道に「心の整理」をやり続ける事が、「生きやすさ」へ辿り着く唯一の道だと思っている。
これからも「心の整理」と付き合って生きていこうと思う。
因みに、「職場のロッカーキー」については、何も対処していない。